[1] 偽信者*は表面上、信仰者たちから「信仰」という火を借り、現世において利益を得る。しかし死んでしまえば、その明かりを利用することも不可能となり、墓の中の闇、不信仰の闇、偽りの信仰の闇、様々な罪の闇に包まれ、最後には地獄の闇へと放り込まれてしまう(アッ=サァディー44頁参照)。
[1] この「雷鳴」は、先代の主な解釈学者らの解釈によれば、「雲を操る天使*の声」のこと(イブン・アティーヤ1:102参照)。 [2] 一説にこれは、真理への疑念と不信仰者の間をゆれ動く、この前のアーヤ*で描写されたのとは別の偽信者*たちについてのたとえ。つまり「闇に降る雨」は疑念と不信仰、偽の信仰であり、「雷鳴」は恐怖、「稲光」は、時に彼らの心にきらめく信仰の光であるという(イブン・カスィール1:189‐190参照)。
[1] この挑戦はマッカ*でもマディーナ*でも、最も雄弁な民であるアラブ人たちに対して何度も向けられた(ユーヌス*章38、フード*章13、夜の旅章88、山章33‐34も参照)が、彼らのイスラーム*に対する敵意と憎悪にも関わらず、その挑戦は破られなかった。そしてアーヤ*24にもある通り、それは現在に至るまで、そして未来でも破られることはないのである(イブン・カスィール1:199参照)。