[1] ここで言及されているのは、信念に満ちた心、純粋な意図、安心感を伴(ともな)う正しい信仰ではなく、殺害や捕虜(ほりょ)となることへの恐怖や、施(ほどこ)しを得ることへの願望などが理由でイスラーム*を受け入れた、ある種のベドウィンたちのこと(アッ=シャウカーニー5:90参照)。 [2] 一説に、このアーヤ*で言及されている「信仰」とは、「心による信念、言葉による承認、身体による行為によって服従すること」。であり、「服従」とは「信念はなくても、言葉による承認と、身体による行為によって、表面的に服従すること」。この場合、このベドウィンたちは偽(にせ)信者*となる。別説によれば、ここでの「信仰」は、「完全なる信仰心」のこと。この場合、彼らには信仰心が存在することになる(アッ=シャンキーティー7:419-420参照)。