ការបកប្រែអត្ថន័យគួរអាន - ការបកប្រែជាភាសាជប៉ុន - សាអុីទ សាតូ

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39 : 41

وَمِنۡ ءَايَٰتِهِۦٓ أَنَّكَ تَرَى ٱلۡأَرۡضَ خَٰشِعَةٗ فَإِذَآ أَنزَلۡنَا عَلَيۡهَا ٱلۡمَآءَ ٱهۡتَزَّتۡ وَرَبَتۡۚ إِنَّ ٱلَّذِيٓ أَحۡيَاهَا لَمُحۡيِ ٱلۡمَوۡتَىٰٓۚ إِنَّهُۥ عَلَىٰ كُلِّ شَيۡءٖ قَدِيرٌ

またあなたが、大地が惨めな有様[1]なのを見ても、そこにわれら*が(雨)水を降らせると、それが震動し、膨張する[2]のは、かれの(唯一性*と全能性を示す)御徴の一つ。それに生を与えたお方こそは、まさしく死んだものに生を与えられるお方。本当にかれは全てのことがお出来になるお方なのだ。 info

[1] 「惨めな有様」とは、乾ききって不毛な様子のこと(ムヤッサル481頁参照)。 [2] 「震動」は、植物が芽生え、動き出すことを、「膨張」は大地が水を含んで、膨張することを指すという(イブン・アーシュール24:302参照)。

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40 : 41

إِنَّ ٱلَّذِينَ يُلۡحِدُونَ فِيٓ ءَايَٰتِنَا لَا يَخۡفَوۡنَ عَلَيۡنَآۗ أَفَمَن يُلۡقَىٰ فِي ٱلنَّارِ خَيۡرٌ أَم مَّن يَأۡتِيٓ ءَامِنٗا يَوۡمَ ٱلۡقِيَٰمَةِۚ ٱعۡمَلُواْ مَا شِئۡتُمۡ إِنَّهُۥ بِمَا تَعۡمَلُونَ بَصِيرٌ

本当に、われら*の御徴(アーヤ*)において(真理から)逸脱[1]する者たちが、われら*から隠れることは出来ない。それで(その逸脱者のように、)業火に放り込まれる者がより善いのか、それとも復活の日*に(御徴を信じる者として、懲罰から)安泰な状態でやってくる者か?あなた方が望むことを行うがよい。本当にかれは、あなた方が行うことをご覧になっている。 info

[1] 否定、噓呼ばわり、改ざん、真の意味からの脱線、アッラー*がお望みになってはいない別の意味を与えることなど、あらゆる形での「逸脱」(アッ=サァディー750頁参照)。

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41 : 41

إِنَّ ٱلَّذِينَ كَفَرُواْ بِٱلذِّكۡرِ لَمَّا جَآءَهُمۡۖ وَإِنَّهُۥ لَكِتَٰبٌ عَزِيزٞ

本当に、その教訓(クルアーン*)が自分たちのもとに到来した時に、それを否定した者たちは(、破滅する定にある)。それこそは、まさしく偉力あふれた啓典[1]なのだ。 info

[1] アッラー*によって偉力あふれたものとされ、あらゆる種類の変更から守られた「啓典」のこと(ムヤッサル481頁参照)。

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42 : 41

لَّا يَأۡتِيهِ ٱلۡبَٰطِلُ مِنۢ بَيۡنِ يَدَيۡهِ وَلَا مِنۡ خَلۡفِهِۦۖ تَنزِيلٞ مِّنۡ حَكِيمٍ حَمِيدٖ

その前からも、その後ろからも、虚妄が訪れることがない[1](啓典)。英知あふれる*、称賛されるべき*お方から下されたもの。 info

[1] クルアーン*はアッラー*によって守られた啓典であり、そこに新たな削除や付け加えが及ぶことはない(前掲書、同頁参照)。アル=ヒジュル章9とその訳注も参照。

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43 : 41

مَّا يُقَالُ لَكَ إِلَّا مَا قَدۡ قِيلَ لِلرُّسُلِ مِن قَبۡلِكَۚ إِنَّ رَبَّكَ لَذُو مَغۡفِرَةٖ وَذُو عِقَابٍ أَلِيمٖ

(使徒*よ、シルク*の徒から)あなたに言われることは、既にあなた以前の使徒*たちに言われたことに外ならない。本当にあなたの主*は、まさしく赦しの主であり、痛烈な懲罰の主である。 info
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44 : 41

وَلَوۡ جَعَلۡنَٰهُ قُرۡءَانًا أَعۡجَمِيّٗا لَّقَالُواْ لَوۡلَا فُصِّلَتۡ ءَايَٰتُهُۥٓۖ ءَا۬عۡجَمِيّٞ وَعَرَبِيّٞۗ قُلۡ هُوَ لِلَّذِينَ ءَامَنُواْ هُدٗى وَشِفَآءٞۚ وَٱلَّذِينَ لَا يُؤۡمِنُونَ فِيٓ ءَاذَانِهِمۡ وَقۡرٞ وَهُوَ عَلَيۡهِمۡ عَمًىۚ أُوْلَٰٓئِكَ يُنَادَوۡنَ مِن مَّكَانِۭ بَعِيدٖ

もし、われら*がそれを外国語のクルアーン*としたならば、「彼ら(シルク*の徒)は言ったことだろう。「そのアーヤ*はどうして、(私たちに理解できるよう)詳細にはされなかったのか?外国語(の啓示)とアラブ人[1](の預言者*)だと?」(使徒*よ、)言ってやれ。「それ(クルアーン*)は、信仰する者たちにとっての導きと癒し[2]なのだ。信仰しない者たちはその耳に重しがある[3]のであり、それは彼らにとっての盲目(の原因)である。それらの者たちは、遠い場所から呼びかけられているのだ[4]」。 info

[1] それが下った者の言葉はアラビア語なのに、外国語のクルアーン*とはどういうことだ、ということ(ムヤッサル481頁参照)。 [2] 「癒し」については、ユーヌス*章57の訳注を参照。 [3] 「耳に重しがある」については、家畜章25の訳注を参照。 [4] つまり呼びかけを聞くこともなければ、それに応じることもない(前掲書、同頁参照)。

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45 : 41

وَلَقَدۡ ءَاتَيۡنَا مُوسَى ٱلۡكِتَٰبَ فَٱخۡتُلِفَ فِيهِۚ وَلَوۡلَا كَلِمَةٞ سَبَقَتۡ مِن رَّبِّكَ لَقُضِيَ بَيۡنَهُمۡۚ وَإِنَّهُمۡ لَفِي شَكّٖ مِّنۡهُ مُرِيبٖ

われら*は確かに、ムーサー*に啓典(トーラー*)を授けたが、そこにおいて異論が生じ(、ある者は信じ、ある者は信じなかっ)た。そして(使徒*よ)、もし(あなたの民に対する懲罰を猶予する、という)あなたの主*からの先んじた御言葉がなければ、彼らの間には裁決が下されてしまったであろう。そして本当に彼らはそれ(クルアーン*)に対する、大きな疑惑の真っ只中にあるのだ。 info
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46 : 41

مَّنۡ عَمِلَ صَٰلِحٗا فَلِنَفۡسِهِۦۖ وَمَنۡ أَسَآءَ فَعَلَيۡهَاۗ وَمَا رَبُّكَ بِظَلَّٰمٖ لِّلۡعَبِيدِ

誰でも正しい行い*を行う者は、自分のために(そうするの)であり、悪い行いをする者は、自分に対して(そうするの)である。アッラー*は、その僕たちにちに対する不正*者などではない。 info
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