Terjemahan makna Alquran Alkarim - Terjemahan Berbahasa Jepang - Said Sato

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14 : 13

لَهُۥ دَعۡوَةُ ٱلۡحَقِّۚ وَٱلَّذِينَ يَدۡعُونَ مِن دُونِهِۦ لَا يَسۡتَجِيبُونَ لَهُم بِشَيۡءٍ إِلَّا كَبَٰسِطِ كَفَّيۡهِ إِلَى ٱلۡمَآءِ لِيَبۡلُغَ فَاهُ وَمَا هُوَ بِبَٰلِغِهِۦۚ وَمَا دُعَآءُ ٱلۡكَٰفِرِينَ إِلَّا فِي ضَلَٰلٖ

真の呼びかけ[1]は、かれ(アッラー*)だけに属する。そして、彼を差しおいて彼らが祈っているものたちは、少しも彼らに応じることなどない。自分の(乾いた)口に届くよう、その両手を(遠くから)水へと伸ばすが、そこには届かない者(が、その念願を叶えられる)程度のもの以外には(、その念願を叶えられないのだ)[2]。不信仰者*たちの祈願は、全くの徒労である。 info

[1] 「真の呼びかけ」とは、シャハーダ*のこととされる。祈願のために呼ばれるべき存在は、アッラー*のみである(ムヤッサル251頁参照)。 [2] つまり、その祈願は叶えられない。ほかにも、これが「空想の水に手を伸ばす者」「水を両手で掴(つか)もうとするが、掴めない者」の様子である、といった説がある(アル=クルトゥビー9:301参照)。

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15 : 13

وَلِلَّهِۤ يَسۡجُدُۤ مَن فِي ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِ طَوۡعٗا وَكَرۡهٗا وَظِلَٰلُهُم بِٱلۡغُدُوِّ وَٱلۡأٓصَالِ۩

そしてアッラー*にこそ、諸天と大地にある(全ての)ものは、従順にであろうと嫌々であろうと[1]、サジダ*する。また(創造物の)影も、朝に夕に(サジダ[2]する)。(読誦のサジダ*) info

[1] ある種の学者によれば、このアーヤ*の意味は、「信仰者と天使*は、文字通りの崇拝*行為としてのサジダ*をするが、偽信者*は嫌々サジダ*する」。偽(にせ)信者*以外の不信仰者*については、巡礼*章18によって、『全ての人』がサジダ*するわけではないことが説明されている。また一説には、ここでの「サジダ*」は文字通りの崇拝*行為の一形式ではなく、「服従」という意味のサジダ*。というのも不信仰者*もまた、アッラー*のご意見から逃れられず、かれに物理的に服従しているのが現状だからである(アッ=シャンキーティー2:237-239参照)。イムラーン家章83とその訳注、蜜蜂章48-49、夜の旅章44、巡礼*章18とその訳注、御光章41とその訳注も参照。 [2] 「影のサジダ*」については、「アッラー*のご意思に沿って、その傾きが変化すること」「サジダする者たちの影」といった説がある。蜜蜂章48も参照(アル=クルトゥビー9:302参照)。

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16 : 13

قُلۡ مَن رَّبُّ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِ قُلِ ٱللَّهُۚ قُلۡ أَفَٱتَّخَذۡتُم مِّن دُونِهِۦٓ أَوۡلِيَآءَ لَا يَمۡلِكُونَ لِأَنفُسِهِمۡ نَفۡعٗا وَلَا ضَرّٗاۚ قُلۡ هَلۡ يَسۡتَوِي ٱلۡأَعۡمَىٰ وَٱلۡبَصِيرُ أَمۡ هَلۡ تَسۡتَوِي ٱلظُّلُمَٰتُ وَٱلنُّورُۗ أَمۡ جَعَلُواْ لِلَّهِ شُرَكَآءَ خَلَقُواْ كَخَلۡقِهِۦ فَتَشَٰبَهَ ٱلۡخَلۡقُ عَلَيۡهِمۡۚ قُلِ ٱللَّهُ خَٰلِقُ كُلِّ شَيۡءٖ وَهُوَ ٱلۡوَٰحِدُ ٱلۡقَهَّٰرُ

(使徒*よ、シルク*の徒に)言え。「諸天と大地の主*は誰か?」言ってやるのだ。「(それは)アッラー*である」。言うのだ。「(そのことを認めている)にも関わらず、一体あなた方はかれを差しおいて、自分自身への益も害も有さない庇護者を設けたというのか?」言え。「盲人と見える者[1]は同じか?いや、闇と光[2]は同じなのか?」いや、彼らはアッラー*に、かれの創造と同様に創造し、それゆえに(それらの創造とアッラー*の)創造が彼らにとって紛らわしくなってしまった同位者を設け(、アッラー*と共に崇拝*し)ているのか?(使徒*よ、)言うがよい。「アッラー*は全てのものの創造主であり、かれは唯一の*お方、君臨し給う*お方である」。 info

[1] 信仰者と不信仰者*のたとえ。真理を見ようとせず、それを信じもしないことから、このようにたとえられている(ムヤッサル251,252頁参照)。雌牛章7,18、家畜章50、フード*章20、24と各訳注も参照。 [2] これも、不信仰と信仰のたとえ(前掲書251頁参照)。雌牛章257「闇から光」の訳注も参照。

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17 : 13

أَنزَلَ مِنَ ٱلسَّمَآءِ مَآءٗ فَسَالَتۡ أَوۡدِيَةُۢ بِقَدَرِهَا فَٱحۡتَمَلَ ٱلسَّيۡلُ زَبَدٗا رَّابِيٗاۖ وَمِمَّا يُوقِدُونَ عَلَيۡهِ فِي ٱلنَّارِ ٱبۡتِغَآءَ حِلۡيَةٍ أَوۡ مَتَٰعٖ زَبَدٞ مِّثۡلُهُۥۚ كَذَٰلِكَ يَضۡرِبُ ٱللَّهُ ٱلۡحَقَّ وَٱلۡبَٰطِلَۚ فَأَمَّا ٱلزَّبَدُ فَيَذۡهَبُ جُفَآءٗۖ وَأَمَّا مَا يَنفَعُ ٱلنَّاسَ فَيَمۡكُثُ فِي ٱلۡأَرۡضِۚ كَذَٰلِكَ يَضۡرِبُ ٱللَّهُ ٱلۡأَمۡثَالَ

かれ(アッラー*)は天から(雨)水をお降らしになり、渓谷(の水)はその規模に応じて流れ、流水は浮き上がった(無益な)泡を湛える。また、彼らが装飾品や道具(の加工・鋳造)を望んで火の中にくべるもの[1]の内にも、それと同様の(無益な)泡が(生じる)。同様にアッラー*は、真理と虚偽について譬えられる。それで泡はといえば散って消え去り、人々を益するものはといえば、地上に残存する。そのようにアッラー*は、(真理と虚偽、導きと迷いについて)譬えを挙げられるのだ。 info

[1] 装飾品加工のための金銀や、種々の道具を鋳造(ちゅうぞう)するための銅などの金属のこと(前掲書、同頁参照)。

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18 : 13

لِلَّذِينَ ٱسۡتَجَابُواْ لِرَبِّهِمُ ٱلۡحُسۡنَىٰۚ وَٱلَّذِينَ لَمۡ يَسۡتَجِيبُواْ لَهُۥ لَوۡ أَنَّ لَهُم مَّا فِي ٱلۡأَرۡضِ جَمِيعٗا وَمِثۡلَهُۥ مَعَهُۥ لَٱفۡتَدَوۡاْ بِهِۦٓۚ أُوْلَٰٓئِكَ لَهُمۡ سُوٓءُ ٱلۡحِسَابِ وَمَأۡوَىٰهُمۡ جَهَنَّمُۖ وَبِئۡسَ ٱلۡمِهَادُ

自分たちの主*に応え(て従っ)た者たちには、最善のもの[1]がある。そしてかれに応え(て従わ)なかった者たちは、もし彼らに地上にある全てのものとそれと同様のものが(もう一つ)あり、(それを懲罰を免れるための代償とすることが出来たのならば、)それで償ったであろう。それらの者たち、彼らには悪い清算があり、その住処は地獄なのだ。そしてその寝床は、何と醜悪なことだろうか。 info

[1] この「最善のもの」とは、天国のこと(ムヤッサル251頁参照)。

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