[1] 大多数の学者は、この「不浄さ」を物質的・本質的なものではなく、「信仰的な不浄さ」としている(イブン・カスィール4:131参照)。 [2] アリー*がマッカ*でこの禁止通告を行った、ヒジュラ暦*9年のこと(ムヤッサル191頁参照)。アーヤ*3の訳注も参照)。 [3] この「マスジド・ハラーム*」は、マッカ*の聖域のこととされる(前掲書191頁参照)。 [4] イスラーム*到来以前にも、アラビア半島のシルク*の徒にはマッカ*巡礼*・訪問の慣習があり、そのことはマッカ*の物質的繁栄に大きく貢献していた。それゆえアッラー*からこのご命令が下った時、マッカ*の民のある者たちは、自分たちの大きな収入源が消失してしまうことを怖れたのだという(アッ=タバリー5:3965参照)。
[1] イスラーム*の勝利がアラビア半島で確実なものとなった時、近隣諸国のキリスト教徒*たちは危機感を強めた。ローマ帝国は、シャーム地方(現在のシリア、パレスチナ周辺地域)を治めさせていたガッサーン族のキリスト教徒*を介し、対ムスリム*の戦争準備を始める(イブン・アーシュール10:162参照)。そしてヒジュラ暦*9年にこのアーヤ*が下ったことにより、ムスリム*たちはシャーム地方に近接するタブーク*へと出征したとされる(イブン・カスィール4:132参照)が、この前年にはガッサーン族が預言者*の使節を殺害したことが原因で、ムウタの戦い*が起きている(ムバーラクフーリー387参照)。
[1] 「ウザイル」は、一説には旧約聖書の「エズラ」のこと(イブン・アーシュール10:167-168)。
[1] 学者や修道僧を「主として選ぶ」とは、アッラー*が定める法をそっちのけにし、彼らが定める法に従うこと。イーサー*については、彼に神性を認め、崇拝*の対象としたこと(ムヤッサル191頁参照)。