કુરઆન મજીદના શબ્દોનું ભાષાંતર - જાપાની ભાષામાં અનુવાદ - સઈદ સાતૂ

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27 : 9

ثُمَّ يَتُوبُ ٱللَّهُ مِنۢ بَعۡدِ ذَٰلِكَ عَلَىٰ مَن يَشَآءُۗ وَٱللَّهُ غَفُورٞ رَّحِيمٞ

そしてその後アッラー*は、かれがお望みになる者の悔悟[1]をお受け入れになる。アッラー*は、赦し深いお方、慈愛深い*お方。 info

[1] 不信仰を棄(す)て、イスラーム*を受け入れた者の「悔悟」のこと(前掲書191頁参照)。

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28 : 9

يَٰٓأَيُّهَا ٱلَّذِينَ ءَامَنُوٓاْ إِنَّمَا ٱلۡمُشۡرِكُونَ نَجَسٞ فَلَا يَقۡرَبُواْ ٱلۡمَسۡجِدَ ٱلۡحَرَامَ بَعۡدَ عَامِهِمۡ هَٰذَاۚ وَإِنۡ خِفۡتُمۡ عَيۡلَةٗ فَسَوۡفَ يُغۡنِيكُمُ ٱللَّهُ مِن فَضۡلِهِۦٓ إِن شَآءَۚ إِنَّ ٱللَّهَ عَلِيمٌ حَكِيمٞ

信仰する者たちよ、シルク*の徒こそは不浄[1]である。ゆえに今年[2]以降、彼らはハラーム・マスジド*[3]に近付いてはならない。そして、もしあなた方が困窮を怖れるのであっても、やがてアッラー*がそのご恩寵でーーかれがお望みならーー、あなた方を豊かにしてくれよう[4]。本当にアッラー*は、全知者、英知あふれる*お方なのだから。 info

[1] 大多数の学者は、この「不浄さ」を物質的・本質的なものではなく、「信仰的な不浄さ」としている(イブン・カスィール4:131参照)。 [2] アリー*がマッカ*でこの禁止通告を行った、ヒジュラ暦*9年のこと(ムヤッサル191頁参照)。アーヤ*3の訳注も参照)。 [3] この「マスジド・ハラーム*」は、マッカ*の聖域のこととされる(前掲書191頁参照)。 [4] イスラーム*到来以前にも、アラビア半島のシルク*の徒にはマッカ*巡礼*・訪問の慣習があり、そのことはマッカ*の物質的繁栄に大きく貢献していた。それゆえアッラー*からこのご命令が下った時、マッカ*の民のある者たちは、自分たちの大きな収入源が消失してしまうことを怖れたのだという(アッ=タバリー5:3965参照)。

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29 : 9

قَٰتِلُواْ ٱلَّذِينَ لَا يُؤۡمِنُونَ بِٱللَّهِ وَلَا بِٱلۡيَوۡمِ ٱلۡأٓخِرِ وَلَا يُحَرِّمُونَ مَا حَرَّمَ ٱللَّهُ وَرَسُولُهُۥ وَلَا يَدِينُونَ دِينَ ٱلۡحَقِّ مِنَ ٱلَّذِينَ أُوتُواْ ٱلۡكِتَٰبَ حَتَّىٰ يُعۡطُواْ ٱلۡجِزۡيَةَ عَن يَدٖ وَهُمۡ صَٰغِرُونَ

(ムスリム*たちよ、)啓典を授けられた者*たちの内、アッラー*と最後の日*を信仰せず、アッラー*とその使徒*が禁じた物事を禁じもせず、真理の宗教に従わない者たちと、彼らが、すごすごとシズヤ*を手渡しで払うまで戦うのだ。[1] info

[1] イスラーム*の勝利がアラビア半島で確実なものとなった時、近隣諸国のキリスト教徒*たちは危機感を強めた。ローマ帝国は、シャーム地方(現在のシリア、パレスチナ周辺地域)を治めさせていたガッサーン族のキリスト教徒*を介し、対ムスリム*の戦争準備を始める(イブン・アーシュール10:162参照)。そしてヒジュラ暦*9年にこのアーヤ*が下ったことにより、ムスリム*たちはシャーム地方に近接するタブーク*へと出征したとされる(イブン・カスィール4:132参照)が、この前年にはガッサーン族が預言者*の使節を殺害したことが原因で、ムウタの戦い*が起きている(ムバーラクフーリー387参照)。

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30 : 9

وَقَالَتِ ٱلۡيَهُودُ عُزَيۡرٌ ٱبۡنُ ٱللَّهِ وَقَالَتِ ٱلنَّصَٰرَى ٱلۡمَسِيحُ ٱبۡنُ ٱللَّهِۖ ذَٰلِكَ قَوۡلُهُم بِأَفۡوَٰهِهِمۡۖ يُضَٰهِـُٔونَ قَوۡلَ ٱلَّذِينَ كَفَرُواْ مِن قَبۡلُۚ قَٰتَلَهُمُ ٱللَّهُۖ أَنَّىٰ يُؤۡفَكُونَ

ユダヤ教徒*は言った。「ウザイル[1]はアッラー*の御子である」。また、キリスト教徒*は言った。「マスィーフ*(イーサー*)はアッラー*の御子である」。それは(彼ら)以前の不信仰だった者*たちの言葉に似た、口先だけの彼らの言葉である。アッラー*が彼らを成敗してくださいますよう。彼らはどうして、(真理から)背かされるのか? info

[1] 「ウザイル」は、一説には旧約聖書の「エズラ」のこと(イブン・アーシュール10:167-168)。

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31 : 9

ٱتَّخَذُوٓاْ أَحۡبَارَهُمۡ وَرُهۡبَٰنَهُمۡ أَرۡبَابٗا مِّن دُونِ ٱللَّهِ وَٱلۡمَسِيحَ ٱبۡنَ مَرۡيَمَ وَمَآ أُمِرُوٓاْ إِلَّا لِيَعۡبُدُوٓاْ إِلَٰهٗا وَٰحِدٗاۖ لَّآ إِلَٰهَ إِلَّا هُوَۚ سُبۡحَٰنَهُۥ عَمَّا يُشۡرِكُونَ

彼ら(啓典の民*)はアッラー*を差しおいて、彼らの学者や修道僧たちを、彼らの主*としたのだ。また、マルヤム*の子マスィーフ*も(主とした)[1]。彼らは、唯一の神(アッラー*)のみを崇拝*することしか、命じられてはいなかったというのに。かれ以外に、(真に)崇拝*すべきものなど存在しない。彼らがシルク*を犯しているものから(無縁な)、アッラー*に称え*あれ。 info

[1] 学者や修道僧を「主として選ぶ」とは、アッラー*が定める法をそっちのけにし、彼らが定める法に従うこと。イーサー*については、彼に神性を認め、崇拝*の対象としたこと(ムヤッサル191頁参照)。

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