আল-কোৰআনুল কাৰীমৰ অৰ্থানুবাদ - জাপানিজ অনুবাদ- ছাঈদ ছাতো

トルブルージュ

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1 : 85

وَٱلسَّمَآءِ ذَاتِ ٱلۡبُرُوجِ

星座を擁する天にかけて、[1] info

[1] アーヤ*1-3の、アッラー*によるこの誓いについては、整列者章1の訳注を参照。

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2 : 85

وَٱلۡيَوۡمِ ٱلۡمَوۡعُودِ

また、約束された(復活の)日*にかけて、 info
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3 : 85

وَشَاهِدٖ وَمَشۡهُودٖ

また、立ち会うものと立ち合われるものにかけて(誓う)、[1] info

[1] 「立ち会うもの(シャーヒド)」と「立ち会われるもの(マシュフード)」は、それぞれ「証言するもの、証言されるもの」とも解釈可能(イブン・ジュザイ2:555参照)。アル=ワーヒディー*によれば、大半の解釈学者は前者と後者を、それぞれ「金曜日とアラファの日(ズル=ヒッジャ*月九日)」と解釈しているが、その他「その逆」「預言者*ムハンマド*(雌牛章143、婦人章41とその訳注を参照)と復活の日*(フード*章103参照)」「人間と復活の日*」など、非常に多くの説がある(23:380-383参照)。

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4 : 85

قُتِلَ أَصۡحَٰبُ ٱلۡأُخۡدُودِ

堀の仲間たち[1]が、成敗されますよう。 info

[1] 「堀の仲間たち」とは、信仰に入った自国民に対して、堀を掘ってその中に火をつけ、信仰を捨てなかった者をその中に放り込んで殺害した、不信仰者*の王とその手下たちのこと(ムスリム「信心深さと心温まる話の書」73参照)。彼らが殺害した信仰者たちについては、「預言者*ムハンマド*が遣わされるより四十年前の、イエメンのキリスト教徒*」「イスラーイールの民*」「エチオピアの民」「ペルシャの民」などといった諸説がある(アル=クルトゥビー19:289-290参照)。

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5 : 85

ٱلنَّارِ ذَاتِ ٱلۡوَقُودِ

つまり、燃料がくべられた炎という(堀の)。 info
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6 : 85

إِذۡ هُمۡ عَلَيۡهَا قُعُودٞ

彼らが(信仰を棄てない信仰者たちを、その炎で罰するべく、)そこ(の淵)に腰かけた時のこと、 info
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7 : 85

وَهُمۡ عَلَىٰ مَا يَفۡعَلُونَ بِٱلۡمُؤۡمِنِينَ شُهُودٞ

自分たちが信仰者たちにすること(懲罰)を、見物しつつ。 info
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8 : 85

وَمَا نَقَمُواْ مِنۡهُمۡ إِلَّآ أَن يُؤۡمِنُواْ بِٱللَّهِ ٱلۡعَزِيزِ ٱلۡحَمِيدِ

そして、彼ら(堀の仲間たち)が彼ら(信仰者たち)を咎めたのは、彼ら(信仰者たち)が偉力ならびなく*、称賛されるべき*アッラー*を信じるがゆえに外ならなかった。 info
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9 : 85

ٱلَّذِي لَهُۥ مُلۡكُ ٱلسَّمَٰوَٰتِ وَٱلۡأَرۡضِۚ وَٱللَّهُ عَلَىٰ كُلِّ شَيۡءٖ شَهِيدٌ

諸天と大地の王権が属するお方(であるアッラー*)を。アッラー*は、全てのことの証人であられる。 info
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10 : 85

إِنَّ ٱلَّذِينَ فَتَنُواْ ٱلۡمُؤۡمِنِينَ وَٱلۡمُؤۡمِنَٰتِ ثُمَّ لَمۡ يَتُوبُواْ فَلَهُمۡ عَذَابُ جَهَنَّمَ وَلَهُمۡ عَذَابُ ٱلۡحَرِيقِ

本当に、信仰者の男たちと信仰者の女たちを火(という試練)にかけ、その後に悔悟しなかった者たち、彼らにこそは地獄の懲罰があり、彼らにこそは、(焼き尽くす)炎の懲罰がある。 info
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11 : 85

إِنَّ ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ ٱلصَّٰلِحَٰتِ لَهُمۡ جَنَّٰتٞ تَجۡرِي مِن تَحۡتِهَا ٱلۡأَنۡهَٰرُۚ ذَٰلِكَ ٱلۡفَوۡزُ ٱلۡكَبِيرُ

本当に、信仰して正しい行い*を行う者たち、彼らにこそは、その下から河川が流れる楽園がある。それは大いなる勝利なのだ。 info
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12 : 85

إِنَّ بَطۡشَ رَبِّكَ لَشَدِيدٌ

本当にあなたの主*の(懲罰による)捕らえ方は、実に痛烈なのである。 info
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13 : 85

إِنَّهُۥ هُوَ يُبۡدِئُ وَيُعِيدُ

本当にかれこそは、(創造を)始められ、(それを)お戻しになるのだ。 info
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14 : 85

وَهُوَ ٱلۡغَفُورُ ٱلۡوَدُودُ

そしてかれは、赦し深いお方、寵愛深い*お方、 info
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15 : 85

ذُو ٱلۡعَرۡشِ ٱلۡمَجِيدُ

栄誉高き御座[1]の主、 info

[1] 「御座」に関しては、高壁章54の訳注を参照。

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16 : 85

فَعَّالٞ لِّمَا يُرِيدُ

お望みのことを決行されるお方である。 info
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17 : 85

هَلۡ أَتَىٰكَ حَدِيثُ ٱلۡجُنُودِ

(使徒*よ、)あなたに、(自分たちの預言者*に対して集結した、不信仰な)軍勢の話は届いたか? info
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18 : 85

فِرۡعَوۡنَ وَثَمُودَ

フィルアウン*とサムード*の(話は)?[1] info

[1] ここで特にフィルアウン*とサムード*だけが取り上げられているのは、比較的後代に滅亡した前者は啓典の民*らによく知られており、一方後者は、比較的先代に滅亡したにも関わらず、アラブの地に居住していた民で、アラブ人たちによく知られていたからだと言われる(アル=クルトゥビー19:298参照)。

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19 : 85

بَلِ ٱلَّذِينَ كَفَرُواْ فِي تَكۡذِيبٖ

いや、不信仰に陥った者*たちは、(彼ら以前の不信仰者*たちと同様、使徒*と啓示の)噓呼ばわりをしており、 info
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20 : 85

وَٱللَّهُ مِن وَرَآئِهِم مُّحِيطُۢ

アッラー*は彼らの後方から、悉く包囲されるお方なのだ。[1] info

[1] アッラー*は彼らを、その知識と御力によって掌握(しょうあく)されており、彼らの行いは全てアッラー*に筒抜(つつぬ)け なのである(ムヤッサル590頁参照)。

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21 : 85

بَلۡ هُوَ قُرۡءَانٞ مَّجِيدٞ

いや、それは栄誉高きクルアーン*[1]なのである、 info

[1] つまりそれは、シルク*の徒らが主張していたような詩、占い、魔術などではなく、宗教的・現世的諸事に関する様々な教えを明らかにする、この上ない誉(ほま)れ 、高貴さ、祝福にあふれた啓典である(アッ=シャウカーニー5:552参照)。

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22 : 85

فِي لَوۡحٖ مَّحۡفُوظِۭ

(いかなる改変からも無事な、)守られし碑板*の中の。 info
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