[1] この後続の文にもあるように、密談する者の数が何人であろうと、アッラー*は彼らの話をご存知である(アル=クルトゥビー17:290参照)。しかし、なぜここでアッラー*が「三人」と「五人」という数を、特に言及されているかについては、以下のような解釈がある:①それが実際に、偽(にせ)信者*たちの間で起こったことだった。②アッラー*は奇数をお好みになるため。③話し合いは常に二者間で、かつその間に誰かをおいた形で行われるため(アル=バイダーウィー5:310参照)。
[1] ユダヤ教徒*や偽信者*たちは、ムスリム*たちにこれ見よがしに、集まって密談したものだった。そのことはムスリム*たちの不興(ふきょう)を買っていたが、彼らは密談を禁じられても、やめなかったのだという(アル=クルトゥビー17:291参照)。婦人章114も参照。 [2] このアーヤ*は、ユダヤ教徒*が預言者*に対し「あなたに平安(アッ=サラーム)を」(その意味については、家畜章54の訳注を参照)という挨拶の代わりに、「あなたに死(アッ=サーム)を」と言ったことについて下ったとされる(ムスリム「挨拶の書」11参照)。
[1] 婦人章114も参照。
[1] つまり、自分の同胞がやって来た時に場所を空けてやったり、立ち上がるように言われて立ったりすることは、自分の権利を失うことではなく、むしろアッラー*の御許での位が上がり、特別なものとなることを意味する(イブン・カスィール8:48参照)。また、ここでの「知識を授けられた者」とは、知識と行いを両立した者のこと(アル=バイダーウィー5:312参照)。